2018年1月WIN&WINセミナー塾長の手紙

塾長の古田修一です。
今年初めての塾長の手紙になります。遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

1月にはいると受験本番になります。大学入試センター試験も終わり、中学入試もスタートしています。高校入試は、1月22日から私立高校が始まります。これまで勉強してきた成果を発揮するときが近づいています。最後の最後まで、あきらめずに頑張ってほしいと思っています。

インフルエンザも流行しているようです。体調管理には充分お気をつけください。

さて、今月の塾長の手紙は、今年初めてになりますので、私が今考えていることについて書かせていただきたいと思います。

私も塾長という立場になり、早いもので5年が過ぎました。今年は6年目に入ります。(この「塾長の手紙」も今回で61回目になります)この6年目を、通ってくれる生徒たちへ貢献していくことができるかを考える上で、まずはこれまでの私自身の歩んできた道を振り返っています。その中に何か私が忘れかけていた良きものを発掘し、それを今後に役立てていこうと考えたからです。

<これまでの私~幼少期・小学生~>

私は1976年(昭和51年)12月8日に、東京都大田区で生まれました。しかし、生まれた瞬間埼玉県入間市に引越しました。それからとはいうもの、5~6年のペースで引越しを繰り返していました。父は転勤があるような仕事をしていたわけではありません。どうやら、5~6年その土地に住むと、飽きてしまい、新しい土地で暮らしたくなるような、ほとんど趣味のような引越しでした。入間市からは飯能市、そして旧大宮市、旧浦和市。そして浦和市の中でも、武蔵浦和、南浦和と、結婚する30歳までに5回の引越しを経験してきました。両親は、南浦和から新潟の過疎地に移住となり、そこが最後の土地になるのでしょうか。

これらの引越しの中でも、私にとってのターニングポイントになったのは、旧大宮市への引越しでした。保育園から小学4年生まで飯能市で暮らし、初めての転校を経験したのです。環境が全く異なる初めての土地での友達作り。幼少期からの友達作りとまた違った苦労がありました。最初にどのように友達に話しかけたらいいのか。話しかけても相手はどう思うのか。嫌われたりしないか。など、不安や悩みが多くありました。違った環境から入ったものですので、出来上がっている集団の中にうまく入ることができず、仲間はずれにされたこともありました。

あの頃の私は、ほかの人の顔色をかなり気にして生きていたと思います。今考えると、私が思うほど、相手は私に悪い印象をそれほど持っていなかったのだと思います。私が考えすぎて、悪い方向にばかり考えていたのでしょう。

この引越しの経験から、どのように周りの人たちとうまくやっていくかということを学んだと思います。

環境が変わり、先生も変わった問こともあるのでしょうか。成績面も小学5年生頃から崩れ始めてきました。特に算数はぜんぜん分からなく、授業が苦痛になってきました。クラスの中でも成績は下のほう。先生は面談の際に、私だけ算数の問題を解かせるということがありましたが、それが嫌で仕方がありませんでした。熱心に見てもらえば見てもらうほど、私はパニックになり恐怖とも感じるようになりました。しかし思い返してみると、きっと先生はあまりにもデキが悪かった私を何とかしたいと、熱心に見ていてくれたと感謝しています。

<これまでの私~中学生~>
 大宮市で小学時代を2年間すごし、その後は近くの中学校に入学しました。小学生時代からの勉強に対する恐怖を中学校でも引きずっていました。特に数学です。しかし、唯一5教科の中で、「英語」だけは得意ではないにしても「好き」な教科でした。成績でいうと中くらいでした。

英語が「好き」になれた理由がひとつあります。それは、当時私が住んでいたマンションの友達のお母さんが、文化放送の英語教室をやっていて、私はそこに小学6年生のときから通っていました。初めての教科にもなるので、中学校に入る前に少しでも基礎力を付けさせたいとの母の気持ちがあったようです。ご自宅の1室を使い教室を開いていたのですが、そこはまるで寺子屋のようでした。生徒の数も同じ時間帯では2~3名程度。音読の指導や、英単語の書き方指導など熱心に見てもらいました。そして、その先生が本当に優しい方だったのです。学校の先生は厳しく「怖い」存在でしたが、その先生は分からないところを叱るのではなく、分かるまで色々な切り口から説明をしてくれました。その教室では、「安心」して学習が進められたと思います。また、人数が少なかったので周りと「比較」されることが全くありませんでした。学校では、直接先生が誰かと比較するような発言はありませんでしたが、私自身がほかの友達の成績などを見ると、自然と「比較」してしまい、嫌な気持ちだけが先行しました。

また、その先生は私が少しでも「できた!」というところを褒めてくださりました。その時の私の気持ちは、一言で言うと、嬉しい気持ちと「楽」でした。これまで勉強面では、自信を失い、一言で言うと「苦」でした。勉強しても分からないものですから、勉強することさえ苦痛だったのです。この先生との出会いがあり、今の私はいるのだと感じています。

英語はそんな感じで、中学時代は中くらいの位置を保つことができましたが、問題はその他の科目です。体育と音楽以外は成績でいうといつも「3」以下でした。(ちなみに音楽は1年生から3年生までオール5でした。)特に数学嫌いは中学3年間でかなり拍車がかかり、いつも「2」。数学の時間が苦痛だったこと。

中学3年生になると、初めての受験があります。進路面談では、先生からショックなことをいろいろと言われました。今でも覚えています。「公立高校はほとんど無理でしょう。」この一言でまるで自分自身が否定されたように感じました。普通の学校に行くことができないのかと。

公立高校が無理と断言されてしまいましたので、両親に無理を言って私立高校を単願で受験しました。

ここまで振り返ってみて大切にしたいと思う教訓は以下のようになります。

①「怖い」存在ではなく「安心する」存在に。

②小さな「できた!」を大切にする。

③周りの人と比較はしない。(その生徒の中での成長を見る)

<これまでの私~高校生~>
 私にとっての高校時代は、今の私の自信の基礎になっています。私が進んだ学校の雰囲気が、中学までのことは忘れこれからの高校生活で自分自身の目標を達成していこうというものでした。先生方も生徒のやる気に応じて熱心に指導してくれました。特に高校1年生のときの英語の先生との出会いは、私の目標を具体的にしてくれました。その先生はまだ先生になったばかりの方で、授業外の時間も質問対応など熱心にしてくれました。私も毎日のようにその先生に質問をしにいき、その都度丁寧に応対していただきました。この先生との毎日の付き合いから、真剣に「将来は学校の先生になりたい」と思うようになり、大学も教師になるための大学選びを始めました。その英語の先生が、早稲田大学教育学部英語専修卒業ということを知り、高校1年生のころは、真剣に早稲田にいきたいと思いました。高校1年生の進路調査の段階で、「早稲田」と書きましたが、そんな途方もない夢のような進路選択をしても、担任の先生は、「今からやればきっと大丈夫。頑張っていこう!」と、中学のとき「公立高校は無理!」の言葉をだした先生とは全く違う対応に勇気付けられました。今時点の実力からの伸び代に期待を寄せてくれたことが、私にとって自信を回復してくれた大きな要因となったと、振り返ると感じています。

3年後の結果としては、早稲田とは程遠い大学でしたが、教員養成課程がある大学に進学することができ、今となっては良い選択をすることができたと思っています。また、当時勉強が嫌いで怖かった私が、大学に合格することができたということだけでも自信につながりました。

高校時代を振り返ってみて大切にしたいと思う教訓は以下の通り。

①たとえ現時点での成績が悪くても今後の伸び代に期待をし、励ましていく。

②どんなに小さな質問でも丁寧に対応していく。

③夢のような希望にも否定はせず応援していく。

<これまでの私~非常勤講師~>

私の大学時代は、この「塾長の手紙」でも何度も紹介させていただきましたので、ここでは割愛したいと思います。ほとんど部活しかしていませんでしたので。(それはそれでいい経験をさせていただきましたが・・・。)

大学を卒業してからのことを振り返ってみたいと思います。

大学を卒業する時点で、私は普通の人と同じように就職することができていませんでした。教員採用試験に失敗し、卒業式の時点でまだ進路が決まっていなかったのです。3月末にある人との付き合いから、私立高校の非常勤講師の話を頂き、何とか4月から高校での講師としての仕事を始めることができました。最初に勤めた高校は小松原高校(現叡明高校)です。当時の小松原高校は、どちらかと言うと勉強を苦手とする生徒が多く、やんちゃな生徒も多くいる学校でした。授業を普通に進めることができず苦労しました。どこかに出て行ってしまう生徒。授業中にギターを弾き始める生徒。中にはサッカーボールをけり始める生徒もいました。そんな状況でしたが、不思議なことに「辞めたい」とは1度も思ったことがありませんでした。ここで授業ができるようになれば、どこでも授業をすることができると思ったからでしょう。

最初は叱りっぱなしの授業でしたが、それでは全く効果がありません。そこで、周りの先生方に助言を求めると、「生徒たちにとって興味深い話を取り入れているか?」ということでした。授業を真面目にやらないといけないと思っていた私は考えることもありませんでした。授業を円滑に進めるためには、知識的な伝達も必要ですが、日頃の何気ない出来事などの話も、授業を円滑に進めるための潤滑油になるということを、この学校で学ぶことができました。

小松原高校の中でも進学クラスを担当したこともあります。そのクラスはやる気はあるけど、なかなか成果に結びつかない生徒が多くいました。そこで考えたのは、私自身の高校時代でした。当時やる気はありましたが、スタート時点での成績は惨憺たるものでした。そこをどう持ち上げていったか。そして、その時の先生の対応はどうだったかを考え授業や、時間外の補講にも取り組みました。「中学生や高校生のとき勉強が苦手だった私に、どう教えたら分かるか」ということを授業前の予習の段階で考えながらやりました。そして、授業で伝えるときも、「わかって欲しい」という気持ちを常に持ち教壇に立っていました。また、私自身が歩んできた道、苦労したことなども、授業中の話の中に取り入れていました。あの当時生徒たちからはよく、「先生って、いつも一生懸命だよね。」と言われたのを思い出します。あれからもう10数年経っていますが、この気持ちをいつまでも持ち続けないといけないと思っています。

小松原高校で講師をしていたときを振り返り大切にしたいと思う教訓は以下の通り。

①授業では生徒の興味関心のある内容にも触れる。

②勉強が苦手だった私にどうやったら分かりやすいかを考えて授業をする。

③「わかって欲しい」という気持ちを持って話をする。

私もこれまで様々な経験をしてきました。振り返るとまだまだ今後、貢献して行くために意識したいことが多く出てくると思います。続きはまた来月号で触れていこうと思います。

今月号の手紙で書いたこれらの教訓を今年一年の指針として、塾を運営していきたいと考えております。今年も一年よろしくお願いいたします。

~最後までお読みいただきありがとうございました~

広告