2018年2月WIN&WINセミナー塾長の手紙

塾長の古田修一です。
今年の立春は、2月4日(日)でしたが、寒さは厳しくなる一方、日本海側は、例年になく多く寒気が訪れ、大雪になっている地方もあるようです。早く春の訪れがないかと待ち遠しく思います。

受験生の皆さんにとっては、2月から3月にかけて本番を迎えます。インフルエンザも流行しているようです、体調の管理には十分気をつけて、追い込みの勉強に頑張ってほしいと思っています。

<塾講師としての私の原点>

さて、先月号では、私が歩んできた道をざっと書かせていただきました。文章として書くことによって、私が本来思っていたことを素直に見直すことができました。なぜそんなに過去を振り返るのか?と不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。それは、私自身と向きあうことにより、私のよさを引き出し、それを社会に貢献させていきたいと思ったからです。(塾長として私にしかできないことを考えています。)

今月号では、この職業に就いてから、どのように考え行動していたかを振り返ってみたいと思います。

私がWIN&WINセミナーとご縁を頂いたのは、大学在学中の頃でした。大学4年生の2月、私は先代の塾長に朝食に招かれました。当時私が住んでいた武蔵浦和にスカイラークがあり、そこのモーニングビュッフェでご馳走になりました。2月は卒業論文の追い込みの時期で、私は詰めの作業をしているところでした。

もともと私の父が先代塾長と知り合いで、まだ就職先が決まっていないことも知っていたようで、そんな私のことを拾ってくれたのです。

だいぶ前の塾長の手紙にも書きましたが、もともと最初の依頼は学習塾の講師ではなく、当時浦和市の市議会議員に先代が立候補するということもあり、その選挙スタッフとしての仕事がメインでした。

しかし、選挙の仕事と同時並行して学習塾の運営も止めることができませんでしたので、塾の講師としても働いていました。今考えると、早朝から夜は日をまたぐまでがむしゃらに動いていました。

当時の学習塾は、規模も小さく、30名程度の生徒数だったと思います。どちらかというと勉強を苦手にする生徒、勉強面に関しては自信を持てていない生徒がほとんどでした。しかし、小規模なゆえに生徒たちとのふれあいの場は多くあり、なんとも言えない温かさがありました。学校での話や家庭での話を自然に聞くことができる信頼関係が生徒と講師の中であり、授業が終わってからも、いろいろと相談に乗ることもありました。

生徒だけではなく、講師との信頼関係も厚いものがありました。当時は学生の講師にもたくさん来てもらっていました。当時は私も独身でしたので、仕事が終わると毎晩のように、学生講師たちを連れて、食事に行ったりしていました。卒業していった講師たちと今でも付き合いがあるのは、あの頃があったからだと思います。今では結婚もし、子どもも2人いますので、当時のような付き合い方はできなくなりましたが、今振り返るといい思い出であると共に、その時の私が大切にしていたことを今一度見つめなおす良い機会になりました。今は別のアプローチでの付き合い方になっていますが、当時の頃を考えることにより、今後のヒントになると思います。

授業面では、一人ひとりの状況をしっかりと見つめていました。勉強面だけではなく、生徒たちのメンタルな面も当時から気を配っていました。今考えると、多少行過ぎたこともあるかと思います。授業の時間を全て使って、その子がその時悩んでいたことを聞いていたこともあります。若かった私は、その時その悩みが勉強面の意欲につながっていないと判断し、そうしたこともあるのですが、ちょっとやりすぎていたとの反省もあります。

<ちょっとおせっかいぎみの思い>
 やりすぎのもう一つは、当時大きな夢を抱いていた生徒に対してです。その生徒は勉強がからっきしできませんでした。何度も同じ説明をしても、頭の中に入ることはなく、私もヒートアップすることがよくありました。今振り返ると「自分はできない」とのブロックをかなり強固にしていたためだと思います。しかし、将来なりたい職業はしっかりとしていました。その夢はかなり大きく、実現するにもかなり難しいことは、大人の私からも見て分かりました。しかし、そんな彼を応援したく、勉強面以外のサポートもかなりしました。

その生徒の大きな夢とは、飛行機のパイロットになるということでした。パイロットになるためには、どのような進路をたどらないといけないか、その生徒は一生懸命調べていて、今何をしなくてはいけないかが分かってはいたのですが、いざ勉強になるとなかなか手がつかず、勉強に対する一種の恐怖心のようなものを持っていたのかもしれません。これは、私ももっていたことですので、その気持ちは良く分かります。

結局中学3年生までに、勉強面の向上をさせることはできず、受験を迎えることになったのです。そのような状況で、どのような学校が将来の夢をかなえるための近道になるか、彼は考えていました。その学校とは、日本航空高校です。今は石川県の能登にも新しくキャンパスを構えていますが、当時は山梨県甲府近辺の1キャンパスの学校でした。日本航空高校には、航空科があり、パイロットになるための基本となることを学ぶことできます。当時私は、その学校がどの程度の学力を有していれば合格できるか全く分かりませんでした。航空に関する知識を勉強しないといけないので、そこそこ基礎学力が必要になるのではと心配に思いました。

どうしても彼をその学校に入学させたいとの気持ちから、私は日本航空高校に直接電話を入れました。「こんな高い志を持った生徒が貴校を志望しています。是非一度学校に行かせて頂くことはできませんか。」すると、「どうぞいらしてください。」とのお返事を頂くことができ、さっそく予定を組みました。(このときその当時の塾長には、出張のお許しを得ていませんでした。)

当時私は、小松原高校の非常勤講師もしており、暇が取れるのは土曜日と日曜日だけでした。そこで、土曜日1日だけを使い、山梨まで行きました。塾長からは、出張手当は払えないけど、交通費だけは出してあげるから行ってきなさいと、大きく受け入れていただくことができました。

今でも覚えています。山梨行った時のことを。訪問したのは、7月。夏の甲府盆地は暑いと聞いていましたが、かなり暑かったことを記憶しています。最寄の駅からは、10数分歩いたところにある広大な敷地の学校でした。暑い中、当時はクールビズなどという習慣はありませんでしたので、長袖のスーツにネクタイ姿で最寄の駅から歩いていきました。10分程度の時間でしたが、周りに何も無いようなところでしたので、その道のりは長く感じ、汗も吹き出る中歩いていきました。

ようやく学校に到着し、入試担当の先生に出迎えていただきました。応接室に着くと、せっかく遠いところ来ていただいたので、本校の見学をしてくださいとのことで、学校の中を案内していただきました。

航空科があるということで、その設備には圧倒されました。航空技術の実習で使用する飛行機の格納庫があり、学校の目の前には、その飛行機を飛ばせるための滑走路もあります。実習では、教官とともに飛行機を操縦させるようで、実習も実践的なものになっています。

全国から生徒が集る学校ですので、寄宿舎も充実していました。何より私が気に入ってしまったのは、学校としての考え方でした。「自由と規律」を重んじる学校で、自由の中での規律を生徒たちに学ばせたいとの話がありました。たとえば、原付バイクの免許の取得は、埼玉県内では、高校生に対してある程度の規制がありますが、航空高校では免許の取得を許可しているのです。大切なことは、与えられた自由の中で、いかに規律を学ぶかと言うことです。正しい運転の仕方を身につけ、社会人としての交通ルールを守ることを学ぶなど。その分、学校での指導は厳しいところがあるようでした。規制をしてしまえば、ある意味楽なところがあります。先生方からすると、そのような自由と自由の中にある規制を学ばせるのは、苦労もあり、そのへんの指導を嫌がる学校がほとんどなのではないでしょうか。このような話を聞き、素晴らしい学校だ。是非彼を入学させたいと感じることができました。

しかし、問題になるのは、彼の学力面です。今の学力で入学試験に合格できるのかが最大の心配事で、最後に応接室でその本題に入りました。

「今の彼の成績はこのような感じです。入学試験では合格することができるのでしょうか?」と単刀直入に聞きました。すると、「今の学力は問題ありません。私たちは高校に入学してからの努力というものを見たいと思っています。それよりも、厳しい寮生活に耐えることができる生徒なのかを面接などを通してみていきたい。」と答えていただきました。これには私はびっくりしました。交渉してもダメかなと内心思っていたのです。

私は嬉しくなってしまい、帰りの特急電車の中で、彼の自宅に電話を入れ、訪問成果の報告をしました。

それからの塾の授業では、彼なりの努力を見せ、意欲的に授業に取り組むようになりました。学力的な伸びはなかったものの、少しでも勉強に取り組まないといけないという姿勢になり、成長した姿を見せてもらうことができました。学力と言う目に見える形での成長もありますが、意欲・態度といった数字では計りきれない成長も、私にとっては、涙が出るほど嬉しかったのです。

入試の結果は「合格」でした。3年間の寮生活は厳しく、時にはやめたくなることもあったようですが、無事に卒業し、その後は専門学校に進学し、空港で働くための専門知識を身に付けるために勉強をしました。

結果としては、パイロットに向けた道は、専門学校の時点で失いましたが、卒業してからはグランドハンドリング(お客様から預かった荷物を、航空機の中に入れるための車両を運転する仕事)の職業に就きました。その後さまざまな理由で職を変えていき、現在では空港内の警備をしています。パイロットになることはできませんでしたが、飛行機を見て仕事をしたいという彼の夢の一部は実現できました。

今考えると、山梨にある学校まで出向いて交渉をしようとの考えは、ちょっと行過ぎているような感じはしますが、そんな熱い気持ちが当時の私にはありましたし、もともとそのような気持ちを持ち合わせていることに気づかされます。今同じようなことをやりたいと思っても、それはできません。しかし、少しでも生徒のために何かしてあげたいとの気持ちは今でも持ち続けています。それをどのような形で、今いる生徒たちにしてあげることができるかと考えています。当時の私とは違い、時間的にもそこまで取ることができなくなりました。その小さな時間を使って、どれだけ貢献できるか。それが今考えていることです。

<私が本当にやっていきたいこと>
3月からの授業のスタイルをもう一度見直しました。

平成29年度から、タブレットによる授業を導入しました。1年間見てきた成果としては、生徒の皆さんが自分自身で黙々と授業に取り組むことができるようになりました。繰り返し学習しますので、学習のスピードなどに効果がありました。全国の様々な塾の導入事例を研究し取り入れました。

しかし、長い時間をかけ、これまでの自分自身を振り返り、何が私自身ありたい姿かを考えると、一昨年まで行っていました講師1名に対して生徒6名までの少人数制の授業にすることが今後さらに良くなると考えました。これまでやってきた自分自身で課題を進める姿勢(自立的な要素)を保ちながら、大切なことを講師からアドバイスできる、また、学習面以外のメンタルな部分の対応もとることができ、さらによきものになると思います。私が持っている思いと言うものを、授業を通して生徒たちに伝え続けていきたいと思っています。その思いとは、先月号の「塾長の手紙」に書かせていただいた内容です。

普通ここまで正直な気持ちを、保護者の皆様や生徒のみなさんに伝えることは無いかと思います。中にはマイナスに取られるような内容もあるかもしれないからです。しかし、私はあえて自分自身の正直な姿を見せていきたいと思っています。私も人間です。良いところばかりではなく、悩むことも多くあります。悪いところもあります。同じ人間として、生徒たちと共に成長していきたいとの気持ちは持っています。教師という仕事をしていくうえで一番考えないといけないことは、「決して上から目線の対応を生徒にしないこと」だと私は思っています。それは、生徒たちも、私たち大人も同じく失敗があるのです。それをないがしろにはせず、常に自分自身の姿と置き換えて考え、生徒たちとともに成長したいと思っています。

3月は塾の新年度スタートの月になります。3月に向けてWIN&WINセミナーでは新しい塾生を募集しております。先月、今月とこれまでの自分自身を振り返り、来年度に向けてさらに良き塾にするようとの想いがこみ上げてきています。このような塾ですが、もしまわりに集団の授業でついていけなくなったお子様や、勉強に対して自信を失っているようなお子様がいらっしゃいましたらご紹介ください。また、現状よりもさらに伸ばしていきたいと思っている方にも満足のいく塾にしていきたいと思っています。初回の面談の時には、保護者の方とお子様とでじっくりと話をさせていただき、より良き学生生活が送れるように応援していこうと思っています。

~最後までお読みいただきありがとうございました~

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